オウム真理教の内部に迫った『A』『A2』の森達也監督、15年ぶりの最新作『FAKE』が、6月4日(土)より、ユーロスペースにて劇場公開いたします。
本作は2014年に「ゴーストライター騒動」で話題になった佐村河内守氏を追ったドキュメンタリー。公開に先立ち開催されている試写会には映画監督、ジャーナリスト、作家、ミュージシャン、お笑い芸人……など各界の著名人が続々来場。一足先に鑑賞した方々から、その興奮と驚嘆のコメントが続々届いております。

<森達也監督からのコメント>
肩書きの一つは映画監督だけど、4人の監督の共作である『311』を別にすれば、『A2』以来だから、『FAKE』は15年ぶりの新作映画ということになる。
もちろんこの期間、テーマなら下山事件に東京電力、被写体なら中森明菜や今上天皇など、撮りかけたテーマや被写体が皆無だったわけじゃない。何度か試行した。でも結局は持続できなかった。数年前くらいからは、もう二度と映画を撮ることはないかもしれないなと内心は思っていた。
でも今年、やっと形にすることができた。映画で大切なことは普遍性。単なるゴーストライター騒動をテーマにしているつもりはもちろんない。誰が彼を造形したのか。誰が嘘をついているのか。自分は嘘をついたことはないのか。真実とは何か。虚偽とは何か。この二つは明確に二分できるのか。メディアは何を伝えるべきなのか。何を知るべきなのか。そもそも森達也は信じられるのか。
…視点や解釈は無数にある。一つではない。もちろん僕の視点と解釈は存在するけれど、最終的には観たあなたのもの。自由でよい。でもひとつだけ思ってほしい。
様々な解釈と視点があるからこそ、この世界は自由で豊かで素晴らしいのだと。

<FAKE コメント一覧> 2015.4.25現在/五十音順、敬称略

2時間の間に目まぐるしく移り変わる疑いの目。つまり自分も表面的な情報で人を善悪のどちらかにジャッジしたがっているのだ。
とにかくラストまで観て欲しい。そしてなぜ、佐村河内氏がこれほど有名になってしまったのか今一度考えれば、自分達がメディアに本当は何を求めているのかが露わになってくるはずだ。  
——浅野いにお/漫画家

『FAKE』は、佐村河内氏も新垣氏も両者ともゴーストであり、いや劇中のすべては視覚可能な幽霊であり、幻だということを証明してしまった。
『FAKE』とは真のホラー映画である。
——ヴィヴィアン佐藤/美術家・ドラァグクイーン

正義でも悪でもない、ましてや真実だと他人に説明することなど不可能な「事実」からはみ出したところに、その人が生きるべき場所があったりする。『FAKE』のラスト12分はきれいな生き方をしてこなかった私にとっても、救いです。
——岡映里/作家、「境界の町で」

モヤモヤして
興奮させて
色んな人と熱く議論したくなる映画
森達也さんさすが
——岡村靖幸/ミュージシャン

すべての感想も批評も、この作品の歯車になるだけである。
ドキュメンタリーという魔性と、長年に渡り向き合い続けてきた森監督が導き出した答えは、剥き切れないメタのマトリョーシカを組み上げる、ということだったのではないだろうか。
という、この感想もまた…。
——小出祐介/Base Ball Bear

客観的な報道は、情報を受け取る側の推理力にかかっている、
という当たり前のことを、ニコニコと包丁研ぎながら説く作品。
——コムアイ/水曜日のカンパネラ

これは「不信」にかんする映画だ。誰も信じられない、という事実についての映画。
そしてこれは、それ以上に「信じること」にかんする映画だ。誰かを信じ(られ)るとは、どういうことなのか、についての映画。
虚実という言葉がある。だが、虚と実は別々のものではない。
この世界には、憎むべき曖昧さと、慈しむべき曖昧さとがある。この二つさえも複雑に入り交じっている。『FAKE』は、要するにそういう映画だ。
——佐々木敦/批評家

世間の目を逃れひっそりと生きる、男と妻と猫一匹。そこへ戦略的に介入する、森達也監督。やがて立ち現れる感動と、それすらブチ壊そうとする演出。
優しさの仮面で我々に近づき、最後に胸ぐらを掴んで「おい、何が見える?」と問い詰める、真に恐ろしい映画。
——白石晃士/映画監督

「ドキュメンタリーは嘘をつく」を描いた、森達也監督が佐村河内守という稀代のFAKEを題材に虚実の皮膜を描いたドキュメンタリー。
圧倒的なカタルシスと共に映画は終わるが、どこまでが嘘で、どこまでが真実なのか。
鑑賞後も、この映画の話は尽きることがないだろう。超大傑作。
——水道橋博士(浅草キッド/漫才師)

凝視しないとあれこれ見逃すけれど、凝視したって見えないものは見えない。
たくさんのことが分かるけれど、どこまで分かったのかがちっとも分からない。
——武田砂鉄/ライター

後味の悪さたるや、前代未聞の映画である。しかし、それは嘘と紛い物にまみれ、それを糾弾する者もサディズムと憂さ晴らしで私刑に参加しているに過ぎない、薄っぺらいこと極まりない社会とせめて皮一枚隔てて生きるために必要な「良薬」の苦さなのだろう。
——武田徹/評論家・ジャーナリスト

人のイメージなどメディアを通せばいかようにでも操作できるという当たり前の事実を森達也ならではの手法で観客に鋭く突きつける傑作。鑑賞後全ての人が感じる「もやもや」こそが、本来は「メディアリテラシー」と呼ばれるものだろう。
——津田大介/ジャーナリスト、メディア・アクティビスト

佐村河内氏と新垣氏のやったことは、大変なことだが、大したことではない。不幸にも成功してしまったことがすべてである。森さんには「FAKE」続編として 「共犯者」新垣氏を撮って欲しい。「A」に「A2」があるように。
——友川カズキ/歌手

この 世にたった一人でいい、自分を本気で信じてくれる人がいたら、世界中の不信にも耐えられる。これは愛の映画だ! ……な〜んて大感動したのは、森達也監督にハメられたのかな? いや、本当に驚きました!
—— 中森明夫/コラムニスト

音楽家視点での感想は「FAKE」ってタイトルこそすべてを表しているんでしょう?監督っ!ということだ。ワム!に日本人のゴーストライターがいた?という疑惑に取り憑かれ、小説『噂のメロディ・メイカー』をまとめた僕にとって究極にツボな映画だった。
 ——西寺郷太/NONA REEVES、音楽プロデューサー

僕は、もう途中から奥さんメインで見ていました。
奥さんのチャーミングさが一番リアルでした。
——花くまゆうさく/漫画家&イラストレーター

本当はこの事件の事なんてどうでもいい。森さんのテーマに打って付けの出来事だという事。
虚言?誠実?悪態?正義?完全に森達也のペースに乗せられた。
——藤原ヒロシ/音楽プロデューサー

FAKEには偽造する、見せかけるという意味を含む。つまり誰かが「仕掛けている」。白か黒か、ゼロか百かで判断してたらきれいに騙される。この映画はみた後が本番。とにかく語りたくなる。あれ、もしかして森達也監督も「仕掛けている」のか?
——プチ鹿島/芸人、『教養としてのプロレス』著者

よもや森さんのドキュメンタリーで泣くことになろうとは思わなかった。この作品を見た後では、世界の実態が違って見えるだろう。普通の善人だと思っていた人が、知らない生物に見えてくるだろう。見たらもう戻れないという覚悟を決めて、劇場に来るべし!
——星野智幸/小説家

あなたは私を信じますか? 家族や恋人にそう聞かれたら、普通の人ならもちろんイエスと答えるだろう。でも森監督はリアリストだから、100パーセントはないよね、と答えるんですよ、ふふふ             
——ホンマタカシ/写真家

追い越したつもりだったけど、追い越された。悔しい気持ちで面白がった。僕は先輩からドキュメンタリーを使ってあっかんべーする姿勢に影響を受けていたのだ。この快感を15年待っていた。やっぱり森さんとは映画を通して話をするのが一番楽しい。
——松江哲明/ドキュメンタリー監督  

世間がFAKEと決めつけた人の実像は何か。途轍もない「怪物」は意外なところに潜む。ラベルを付けて安心したがるメディアからは、決して見えない「真相」。人間の底知れなさに震える結末。「FAKE」は、愛と希望の傑作だ。
——茂木健一郎/脳科学者

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執筆者

Yasuhiro Togawa