デニス・ホッパーは、アメリカン・ニューシネマの代表的傑作『イージー・ライダー』(69)に監督/主演し、同作の世界的大ヒットにより、一躍時の人として注目された。しかし、原案、出演も兼ねた監督第二作『ラストムービー』(71)では、編集権をめぐって全米配給のユニバーサルと大衝突。とてつもなく狂った内容のこの映画は、ろくに上映されぬまま、ホッパーは映画業界から追放同然となった。そんなデニス・ホッパーがアメリカ映画界に返り咲くきっかけとなったのが、ミュージシャン、ニール・ヤングとの出会い、そしてニール・ヤングが監督/主演した『ヒューマン・ハイウェイ』(82)への出演だった。
『ラストムービー』以降、アルコール中毒、麻薬中毒で入退院を繰り返し、活動の場を国外に移せざるを得なかったホッパーは、オーストラリアで『マッドドッグ・モーガン/賞金首』(76)、ドイツで『アメリカの友人』(77)、フィリピンのジャングルで撮影された『地獄の黙示録』(79)などに出演し、日銭を稼いでいた。そんな70年代末、ホッパーは、十代からの親友である俳優、ディーン・ストックウェルを介してミュージシャンのニール・ヤングと知り合い意気投合。ヤングと一緒にサンフランシスコに出かけた際、DEVOを発見したと自ら語っている(真偽は不明)。その結果、ホッパーとDEVOは、ヤングが自主製作/監督した『ヒューマン・ハイウェイ』(82)にそろって出演。ホッパーは狂気のコック役としてキッチンで大暴れした。DEVOの面々は、あまりに狂い過ぎてセリフを一言も発せられないホッパーの姿に恐れおののいたという。

『ヒューマン・ハイウェイ』は78年頃から制作が開始され、完成/公開されたのが82年。この間ホッパーは、『アウト・オブ・ブルー』(80)で監督復帰を果たしているが、そのタイトルはニール・ヤングの楽曲「ヘイ・ヘイ、マイ・マイ(アウト・オブ・ブルー)」からとられており、ずばりその曲が映画の主題歌として使われている。この曲は、『ヒューマン・ハイウェイ』の中でニール・ヤングとDEVOが一緒に演奏した歴史的なヴァージョンが収録されているが、歌詞の一節がニルヴァーナのカート・コバーンの遺書に記されていたなど、パンク/ハードコア/オルタナの音楽世界では大きな支持を集める楽曲であると同時に、再起不能と思われていたデニス・ホッパーの監督復帰作にも大きな影響を与えていたというエピソードだ。
以後ホッパーは、1983年にはサム・ペキンパー『バイオレント・サタデー』、フランシス・コッポラ『ランブル・フィッシュ』に出演。1986年にはデイヴィッド・リンチ『ブルー・ベルベット』の怪演で全米批評家協会賞・助演男優賞を受賞。同年の『勝利への旅立ち』ではアカデミー賞、ゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネートされ、ハリウッドに完全復帰を果たした。

ニール・ヤングとの出会いによって、地に堕ちていたキャリアから業界復帰のチャンスをつかんだホッパー出演の放射能コメディー『ヒューマン・ハイウェイ』は、紆余曲折をへて、ついに2015年、原発問題未解決の日本で初公開を迎える。

『ヒューマン・ハイウェイ』〈ディレクターズ・カット版〉は、
9/12(土)より新宿シネマカリテにて2週間限定レイトショー!

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執筆者

Yasuhiro Togawa