終戦70周年記念作品として、吉本興業グループの新たな会社“KATSU-do”により、映画『この国の空』の映画化が決定いたしました。
二階堂ふみ、長谷川博己、工藤夕貴らが出演、荒井晴彦が17年ぶりにメガホンを撮ります。

芥川賞作家・高井有一による同名小説は、1983年に出版され、谷崎潤一郎賞を受賞した。
終戦間近、当時の東京の庶民の生活が細やかな感性と格調高い文章で丁寧に描かれており、戦争という時代を戦場ではなく、庶民の暮らしを繊細に、そしてリアルに、大胆に描く物語が「ヴァイブレータ」「共食い」「海を感じる時」で男と女のえぐ味とロマンチシズムを見事に描いた脚本家・荒井晴彦が映像化する渾身の一作。

【荒井晴彦氏 コメント】
三十年前、「この国の空」を読んで、映画にしたいと思った。高井有一さんにお会いして、映画にできる当てはありませんが、原作を頂けませんかとお願いした。高井さんは快諾してくれた。
昭和二十年、八月、杉並の善福寺に母と住む若い娘が隣家の妻子を疎開させた中年男とどうせ本土決戦、一億玉砕死ぬのだと一線を越えてしまう。いけない、と思ったのと同時に里子の周りから蝉の声が消えた。しんと鎮まり返った一瞬があった。里子は身体を弾ませるようにして市毛にしがみついて行った。しかし、戦争は突然終わる。娘は、死ななくてすんだと喜ぶ男を見ながら、戦争が終ったらこの人の奥さんと子供が帰ってくると思う。「この国の空」の主人公は戦争が終って喜べないのだった。この娘にとって「戦後」が「戦争」になるのだろうと予感させて小説は終る。
 この国の戦後は、戦争が終ってよかっただけでスタートしてしまったのではないだろうか。まるで空から降ってくる焼夷弾を台風のような自然災害のように思って、誰が戦争を始めたのか、そして誰がそれを支持したのかという戦争責任を問わずに来てしまったのではないだろうか。戦争が終ってバンザイじゃない娘を描くことで、この国の戦後を問えるのではないかと思った。
 企画は動かなかった。六年前、余りに仕事がないので「この国の空」をシナリオにした。信頼する監督に読んでもらった。脚本賞取れるようなホンだけど、こういう映画、誰が見るの?と言われた。去年の暮、あるプロデューサーがやりましょうと言ってくれた。監督、誰にしようと言ったら、自分で撮りなさいよと言われた。そして、いま、「戦争が終って僕らは生まれた」と同じ歳のカメラマンと「戦争を知らない子供たち」を口ずさみながら撮影している。
 敗戦から七十回目の八月十五日の公開を目指して。

【二階堂ふみ氏 コメント】
京都太秦撮影所での撮影は初めての経験なのですが、本気度の高いスタッフの方々とご一緒するこ事ができて嬉しいです。素敵な作品になるよう精一杯頑張ります。

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執筆者

Yasuhiro Togawa