本作は36年前の映画で、第二次世界大戦末期の樺太にて、ソ連の侵攻作戦のなか、最後まで通信連絡をとり続け、若い命をなげうった真岡郵便局電話交換手の9人の乙女の悲劇を描いた真実の物語です。 
1974年の公開時にソ連の圧力によって、急きょ公開が中止になったという幻の作品です。

8月15日の終戦後、ソ連の進攻により樺太市民の多くが犠牲になったことを見知ることができ、あらためて戦争の悲惨さを痛感します。 
この映画を通し、日本人として多くの方がこの史実を知るきっかけとなることを願っております。

語り継がなければならないこの史実
現在ロシア領サハリンと呼ばれるかつての樺太。1945年8月15日の終戦の混乱の中、この地で多くの日本人が死んでいった。8月6日、米軍による世界初の原爆が広島に、続いて8月9日には長崎にも投下された。同日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を破り、満州、樺太に侵攻した。
本作『樺太1945年夏 氷雪の門』は、ソ連の侵攻作戦のただなかで、最後まで通信連絡をとり、若い生命をなげうった真岡郵便局電話交換手9人の乙女の悲劇を描いた真実の物語である。戦争は終わったはずなのに、何故、彼女たちは死を選ばねばならなかったのか。この映画はその深層に挑んだ。
空前のスケールで描かれた平和への願い
1974年当時、日本の映画界にしては珍しくスケールが大きく、製作実行予算が5億数千万を超えた超大作として話題を呼んだ。
戦闘シーンを陸上自衛隊が全面協力し、撮影場所も終戦時の樺太に似た地形を求めて、北海道全域をはじめ、御殿場、丹沢、大山、そして常盤炭鉱地にオープンセットを組み立ててロケを行った。原作は金子俊男の「樺太一九四五年夏・樺太終戦記録」。脚本は「幕末残酷物語」の国弘威雄、監督は「あゝ海軍」の村山三男、撮影は「早池峰の賦」の西山東男、美術は木村威夫。特に少ない資料の中から樺太の街を作り上げた木村威夫の美術は圧巻である。

2010年7月17日(土)より、シアターN渋谷にてモーニングショー
2010年8月7日(土)より、札幌シアターキノ、ほか全国順次公開

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執筆者

Yasuhiro Togawa