あいち国際女性映画祭2009招待上映決定!!

台湾が日本だったころ・・・
台湾は1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの51年間、日本の統治下にあった。日本は欧米への対抗意識もあり、台湾のインフラ整備や教育の普及、治安の維持に力を注いだ。また、同化政策により、台湾での学校教育は日本語で行われたため、この時代に学校教育を受けた世代は日本語を話すことができる。いわゆる「日本語世代」と呼ばれる人々である。本作の出演者たちも、日本統治時代最末期に日本語教育を受け、日本人として生きていた。第二次世界大戦の戦況が厳しくなると、台湾でも志願兵制度に続き徴兵制度が布かれた。台湾の軍人・軍属は約21万人を数え、そのうち約3万人が死亡。また、台湾の主要都市もアメリカ軍の空爆の標的となり、市民の死傷者・行方不明者は1万5千人にのぼった。やがて日本は敗戦、大陸から来た蒋介石の中国国民党が台湾統治をはじめたが、二二八事件や白色テロなど、激しい台湾人弾圧が行われた。さらに台湾語、日本語の使用が禁じられ、日本語世代は長い間口を閉ざさざるを得なかった。1972年、日中友好条約の一方で日台の国交は断絶したが、民間レベルの交流は今なお強固なままである。その根幹は日本語世代の担うところが大きかったが、時の流れとともに世代交代が進んでいる。

激動の歴史に翻弄されながらも、人生を力強く歩んできた5人の日本語世代たちの日々の暮らしの様子を交え、日本統治時代、戦後の国民党独裁時代を経て現在に至るまでの人生をインタビューで振り返る。台湾の最も波乱に満ちた時代を生きた日本語世代が、自らの人生を振り返るときに語る言葉とは—。

本作品は酒井充子監督の初監督作品である。新聞記者を経て2000年からドキュメンタリー映画の制作および劇映画の制作、宣伝に関わりつつ、本作品の構想を練ってきた。台湾との出会いは1998年、1本の台湾映画に触発され、台湾を訪れた時に始まる。このときの、いわゆる日本語世代の老人との出会いが、のちの映画制作の原点となった。本格的に取材を始めたのは2002年から。足かけ7年におよぶ取材活動中に、病に倒れたり、鬼籍に入った人もいる。映画を通じて台湾のことを広く知ってほしいという強い思いが、限られた時間の中で再三訪台し、カメラを回す原動力となった。新聞記者時代に培った機動力と深い洞察力で、台湾と日本の忘れてはいけない歴史を浮き彫りにする。

2009年6月27日よりポレポレ東中野 モーニングショー

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執筆者

Yasuhiro Togawa