公開記念先行+初日オールナイト!
2月21日(土)+28日(土) @渋谷シアターTSUTAYA 

[併映]
『アルジェの戦い』(65) DVD再発売記念上映!
『デイズ・オブ・グローリー』(06) 日本初劇場上映!

(協力:アイ・ヴィー・シー/ニューセレクト 併映2作はデジタル上映)
料金 2,500円 (または「いのちの戦場」前売券+1,000円)
開始時間など詳細は劇場 03−3464−6277まで

<3本で解かるアルジェリア戦争 BACKGROUND>
ジダンの頭突きが、フランスでなぜあれほどの社会問題を引き起こしたのか?

遠い日本からはよくわからない複雑でデリケートな歴史がそこにはある。
地中海を挟んだ北アフリカのアルジェリアは、130余年にわたりフランス直轄の植民地だったのだ。

1830年以来“フランス人”となったアルジェリア人たちは、“フランス兵”として2つの世界大戦に従軍。近隣のアフリカ系“フランス兵”たちと共に分かち合ったその苛酷な戦場の模様は映画「デイズ・オブ・グローリー」(06、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート/カンヌ国際映画祭男優賞を受賞するも日本ではビデオストレートのみ)に詳しい。

独立を勝ち取ったアルジェリア戦争(1954〜62年)は、フランスが経験した最大の植民地独立戦争で、ベトナム戦争の裏側で当時の世界を震撼させ、日本の新聞でも頻繁にその動向が報じられていた。有名なのは、57年の市街戦の様子を克明に描いたジッロ・ポンテコルヴォ監督作「アルジェの戦い」(65、アカデミー賞外国語映画賞、監督賞ほかノミネート/ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞/66年日本公開、当時の朝日新聞ベスト1となる)。首都アルジェのアルジェリア人たちが立ち上がり、支配層のフランス人に抵抗する姿を克明に描き、日本にも衝撃を与えた。ただしこれは、イタリア映画であった。

「いのちの戦場」の舞台はその2年後の1959年。アルジェリア戦争は泥沼化し、カビリア地方の山岳地帯では、激しいゲリラ戦が繰り広げられていた。アルジェリア人は、独立を目指すゲリラ兵、フランス軍に参加してゲリラを鎮圧しようとする“フランス兵”、そして両方の板挟みで苦しむ住民とに分かれてしまった。戦場には密告と拷問の連鎖がはびこり、先の大戦やインドシナで“フランス兵”として戦った戦友同士が、敵味方に分かれて殺し合った。戦地に送り込まれたフランス人兵士は200万人、死者2万7千人。そして、アルジェリア人の死者は“推定”30万から60万人。

海を挟んで残虐な成り行きを見守ったフランス人たちも、戦後帰国した兵士たちも、その子供たちが読む教科書も、アルジェリア戦争について語ることはなかった。それはフランス国民に暗い影を落とす“タブー”となった。

そして今、“戦争を知らない世代”のブノワ・マジメルが、初めて歴史に向き合う! 最後の戦場に散った年若いフランス人兵士たちの苦しみ、アルジェリア人兵士たちの哀しみを、現代につながる堂々たる戦争大作として描ききった。
2009年、アルジェリアは大統領選挙の年——アルジェリア戦争に関わりを持たなかった世代が政権を担い、歴史が葬り去られる直前に。

※ アルジェリア戦争(1954〜62)

1830   フランスによるアルジェリア征服
1881  アルジェリア、フランスの本省直轄下に入る
1914-18   173,000人のアルジェリア兵士が戦地へ送られ、
      119,000人のアルジェリア労働者がフランスへ送られる
1945   コンスタンティーヌ、セティフ、ゲルマで大暴動
1948   「アルジェリア議会」選挙実施、政府寄り議員が多数に
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1954   FLN(アルジェリア民族解放戦線)が蜂起、独立戦争始まる
1957   “アルジェの戦い”
1958   アルジェリア共和国臨時政府、設立宣言
1959.8.  ド・ゴール将軍の第1回アルジェリア視察
1960   国連総会でアルジェリア独立の権利を承認
1961   ヨーロッパ人テロリスト・グループが秘密武装組織OASを組織
1962   エヴィアン停戦協定〜国民投票により自決独立賛成多数〜
     フランスがアルジェリア独立を承認〜アルジェリア独立宣言
1999   「アルジェリア戦争呼称法」制定

年表(参考:「アルジェリア近現代史」白水社刊)

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執筆者

Naomi Kanno