原作は芥川賞作家・高井有一による同名小説、1983年に出版され谷崎潤一郎賞を受賞しました。戦争という時代を戦場ではなく、庶民の暮らしを繊細にそしてリアルかつ大胆に描かれた物語です。また、本作は日本を代表する脚本家・荒井晴彦の18年ぶりの監督作です。
戦地に赴く男たちを描いた作品が数多く公開されてきましたが、本作では戦時中の日常を生き抜く女たちが描かれています。

愛を知らない少女・里子
二階堂ふみが演じるのは、19歳の少女・里子。戦況が悪化する中、愛も男も知らぬまま、時代に飲まれてしまうのではないかと不安な日々を過ごす。
隣家に住む妻子持ちの市毛(長谷川博己)に心を傾けてゆく。

“女”の顔をみせる娘を見守る母
蔦枝(工藤夕貴)は結核で主人を亡くし、娘とふたり身を寄せ合って暮らしている。娘が隣に住んでいる男と恋愛関係になっていくことをうすうす感じ取っている母親。娘が、愛も知らずに死んでいくよりは、それがたとえ許されぬ恋だとわかっていても、目をつぶるしかない。

娘への複雑な感情を吐露する母・蔦枝
「市毛さんに気を許しては駄目よ。本当なら、奥さんと別れて住んでいる人のところへ、一人で出入りするなんて、もってのほかって叱るところよ。普段の時だったら、許しはしない。でも今はこんな時代で、あなたの近くには、市毛さんしかいないんですものね。あの人がいてくれてありがたいと、あたし喜んでいるのよ。娘をよろしくお願いいたします、って頭を下げにいきたいくらい。」

空襲で家族を亡くした叔母
横浜で空襲に遭い、命からがら杉並に逃げて来る叔母・瑞枝(富田靖子)
家族を戦争で亡くした彼女は、母娘のもとに身を寄せる。戦争へ恐れを抱き、絶望しても、生きて行こうとする生命力が強く感じられる女性である。

昭和20年を生きた少女たちのリアル
茨木のり子 『わたしが一番きれいだったとき』
本作のエンドロールで、主演の二階堂ふみが朗読するのは、茨木のり子の詩『わたしが一番きれいだったとき』
二階堂ふみ自身、本作の脚本を初めて読んだ時に、この詩が思い浮かんだとの事。
戦後の日本を代表する詩人・茨木のり子は、里子と同じ19歳の時に終戦を経験しました。あの時代を生きた少女たちが何を考えていたのか、戦後70年が経とうとしてもなお、色あせぬ文章で私たちの心に訴えかけ、里子たちの生きた時代を伝えています。

荒井晴彦監督のコメント
もちろん満足のいく形ではないけれど、戦争中だって衣食住があり、そして、男女がいればセックスだってしたんです。今までの戦争映画では、そういう人間の姿が描かれてこなかった。工藤夕貴さん演じる蔦枝が、富田靖子さん演じる瑞枝に向って、 米びつにある豆を食べたことを、責めて言い合いになるシーンがあるんですが、戦争という、生きるか死ぬかの状態の中、食べ物のことで喧嘩をしている姿を描くことで、
非日常の中の日常がみせられると思った。そして、男は死ななくてよかったと歓び、妻子が帰ってくる、と唇を噛むこの映画の主人公・里子のうれしくない戦後に重ねて、私たちの戦後が問えるのではと思った。

8月8日(土)より、テアトル新宿、丸の内TOEI,シネ・リーブル池袋他、全国ロードショー

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執筆者

Yasuhiro Togawa