15歳の頃からデジタルカメラで本格的に撮影を始め、18歳の時から、京都市内や、地元・八幡市内で何度も写真展を開いている青年がいる。
米田祐二さん(京都府八幡市在住・映画撮影当時 満21歳/2015年1月現在23歳)。
祐二さんは、会話が得意ではない。ゆえに人とのコミュニケーションに障がいを持つ。
3歳児検診で「自閉症」と診断され、突然 奇声を発し、裸足で近所を走り回る野生児のような少年だった祐二さんは、養護学校に入学し、小学部5年生になった頃、母の携帯電話についていたカメラに興味を持ち始め、写真を撮り始めた。

 視力が悪いことが中学2年の頃にわかり、そのときに母・千鶴さん(撮影当時 満54歳)は、祐二さんが見えにくいものを写真でアップにして確認していたのだと気づく。眼鏡をかけるようになったら多動も治まった。祐二さんが撮った写真は彼の教科書であり、言葉では伝えられない想いを自分に伝える手段だったのだと気づき、以来、千鶴さんは祐二さんにデジタルカメラを持たせ、写真を大切に保管。
そして高等部3年生の時に初めての写真展を開いて以降、祐二さんはアマチュア写真家として数多くの作品賞を受賞してきた。

2013年2月、そんな祐二さんが「観光バリアフリーモニターツアー」に参加するチャンスを得た。
母の手を離れて、沖縄を旅することになったのだ。
生まれて初めて飛行機に乗り、初対面の支援者と過ごす「おきなわ(?)」での時間・・・。
理解の範疇を超える挑戦と、大きな不安を乗り越えて、初めて出会う人と、沖縄の海や空・・・。
彼の目を通して見えた沖縄は・・・そして、苦手だった人との交流はどうなるのか・・・。
その3日間に「普通に生きる」を制作したマザーバード・貞末のムービーカメラが密着した。
祐二さんは気が向くと、首から提げたカメラのシャッターを押した。

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執筆者

Yasuhiro Togawa