≪日本初公開!世界のどす黒い危険な闇映画≫第一弾!!
サム・ペキンパー『わらの犬』+ジョン・ブアマン『脱出』の衝撃ふたたび! 同時代に南半球に存在
した恐るべき野蛮作『荒野の千鳥足』が、40 年以上の時を経て遂に日本初上陸!
人類は、ビールの旨さには、ひれ伏すしかないのか!?

いよいよ9月27日の公開が迫って来た≪日本初公開!世界のどす黒い闇映画≫第一弾、『荒野の千鳥足』。ビールの旨さと凄絶なおもてなしに屈して破滅へ向かう男の激哀愁な姿を描いたこの1971年オーストラリア製作の野蛮大作、あの巨匠マーティン・スコセッシ監督に「凄まじいほどに不快な映画だ。私は言葉を失った」と言わしめたことでも話題となっているが、海外で立て続けにリバイバル公開された際の各国のレビューや監督インタビューから、スコセッシ監督と『荒野の千鳥足』の興味深い関係が浮き彫りになってきた。

『荒野の千鳥足』は1971年のカンヌ映画祭に同じくオーストラリアを舞台としたニコラス・ローグの『美しき冒険旅行』とともに出品され、その上映は午後4:00からスタート。監督のテッド・コッチェフが関係者席に座り鑑賞していたところ、後ろの席からいかにもアメリカ人な英語の声で「うわぁぁ!」「なんてことだっ!」というような奇声が聞こえてきて、千鳥足教師とドナルド・プレザンスの衝撃シーンにさしかかったところでは「ええぇぇっ!この監督はそこまで行っちゃうのっ?うわぁっ行っちゃうぞっ!本当に最後まで行っちゃったよ !最高だぁぁぁっ!!」という騒音をまき散らしていた男がいたとのこと。当然コッチェフ監督はその男が誰かもしらず、苦笑していたようだが、上映終了後にその姿を確認すると20代の若者で、『荒野の千鳥足』の世界配給を決めていたUAの宣伝マンに知った人間かどうか尋ねたらしい。コッチェフ監督のいたところは関係者席だったため、脚本家かプロデューサーか監督か、映画業界の人間であることは間違いなかったのでなおさら気になったのであろう。宣伝マンの返答は「ああ、あれは誰でも無い。無名だ。映画を1本だけ撮って大コケしたはず。なぜここにいるのかも分からない」。しかしどうしても名前を知りたがったコッチェフ監督が再度問うと「名はマーティン・スコセッシのはず」と。なんとこんな時期にスコセッシ監督は千鳥足に接していたのでした。でもコッチェフも「そうか、君の言う通りだな。まったく聞いたことがない」と返答したとのことです。

数年前に『荒野の千鳥足』のレストアが完了したときに、スコセッシ自ら鑑賞を希望、結果カンヌ・クラシック部門の長であったこともあり、正式出品されたのでした。何十年も『荒野の千鳥足』を忘れず、その寛大な対応にテッド・コッチェフ監督も感動していたのでは。そしてその後ニューヨークで再上映された際に、この話題となっている「凄まじいほどに不快な映画だ。私は言葉を失った」というコメントを出したのでした。コッチェフ監督とスコセッシ監督は知らないうちに顔を合わせていた71年カンヌの初上映時以来、一度も会ったことは無かったが『荒野の千鳥足』の復活を機にメールでのやりとりをするようになり、オスカーのパーティにロバート・デ・ニーロとスコセッシ監督が出席していたところで初めて会ったそうだ。そこでこの奇跡のような話をコッチェフ監督がデ・ニーロに披露、デ・ニーロの返答は「テッド、スコセッシは誰の映画に対しても同じことをするんだ」。

スコセッシ監督のコメントのとおり、現代の映画には無くなってしまった不快描写満載の『荒野の千鳥足』。ジョン・ブアマンの『脱出』やサム・ペキンパーの『わらの犬』など、不快かつパワフルな圧倒的な映画が 70 年代には多数存在しました。そんな中でも野蛮の巣窟ともいえる辺境の地で繰り広げられる凄絶なおもてなしと喉の渇きを潤して余りあるビールの旨さ、痛飲の果ての頭痛と吐き気、酩酊・泥酔の乱痴気騒ぎが炸裂する本作は、なぜ日本に入ってこなかったのだろうという疑問と、ビールが飲みたくて仕方なくなる症状、もしくは二度とビールを飲みたくなくなる症状を観る者に叩きつける、衝撃作といえるでしょう。ただし、現代映画に多いエログロ描写は皆無ですので、そこらへんを期待すると肩すかしを喰らうこと間違いなし。またタイトルから連想しがちなコメディ要素や西部劇的要素も皆無です。くれぐれも観終わったあとに「つい魔が差した」と思わなくて済むよう鑑賞の際には熟考の上で劇場に足を運ばれることをおすすめします。

関連作品

http://data.cinematopics.com/?p=52688

執筆者

Yasuhiro Togawa