1950年代後半、日本映画界に衝撃を与えた脚本界の寵児・白坂依志夫の華麗なるエッセイ

■日本ヌーヴェル・ヴァーグ前夜、新たな表現を求めてもがく若き映画人たち
 50年代、60年代の日本映画界は巨匠たちの熟達した表現と、若手の斬新な表現がぶつかりあう大きな転換期を迎えていた。
 23歳の若き脚本家・白坂依志夫の存在が日本ヌーヴェル・ヴァーグの幕を開ける——。
  
「日本の映画界には、大きな革命が必要である。」(本文p107「若い仲間」【1959年】より)

新たな映画の必要性を切実に感じていた20代の白坂氏が、批評家たちから叩かれながらも表現を求めて格闘した日々を当時の生き生きした言葉で書き綴っており、50年代、60年代の日本映画界の様子が鮮やかに蘇ります。

<対談>篠田正浩(映画監督)×白坂依志夫
松竹ヌーヴェル・ヴァーグの一員として活躍した映画監督・篠田正浩氏と白坂氏が50、60年代当時の映画界を振り返り、篠田氏は松竹大船撮影所、白坂氏は大映映画撮影所を舞台にエネルギッシュに過ごした日々を熱く語ります。
・宴会の席で吉田喜重 を責めたてる小津安二郎
・「不条理」について木下惠介 と語った思い出
・ロシア、ヨーロッパ、ニューヨークを巡った白坂依志夫との二人旅。イリヤ・エレンブルグ、ノーマン・メイラーとの会談のこと。

■白坂流「毒舌ユーモア」が冴えわたる、映画人、作家たちのとっておきのエピソードが満載!

日本映画界の黄金期にデビューし、脚本界の寵児として活躍した白坂氏ならではの華やかな交友録を収録。有名人たちの意外な素顔と人間らしい一面を垣間見ることができます。

・市川雷蔵と飲み明かした銀座の夜
・若尾文子とのドライブデート、
・優しかった市川崑夫妻
・大学の勉強より為になった三島由紀夫と過ごした日々
・天下のプレイボーイ俳優・池部良との焼肉
・新藤兼人の激昂「ゴタクとは何だ!」
・着物のスソが8枚すり切れるまで書いた脚本家・水木洋子の執念
・二十代の大江健三郎と語った創作のこと、日本のこと

■白坂氏自身も脚注を執筆。映画人たちがより一層親しみやすく。

日本映画界の大御所脚本家たちの脚注を白坂氏自らが書き下ろしました。毒舌の白坂氏ならではの類をみない脚注が楽しめます。

白坂依志夫(しらさか・よしお)
1932年、東京生まれ。中学時代からシナリオ・ライターである父・八住利雄の仕事を手伝い始める。成城学園高校に在学中より演劇活動に熱中。早稲田大学文学部を中退後、23歳という若さで大映多摩川撮影所と脚本家として契約。1957年、増村保造監督との『青空娘』『暖流』を発表し、それまでの日本映画のスタイルを一新するモダンで斬新な作風で、一躍、脚本界の寵児となる。以後、増村保造と組みながら、自身が役者としても出演した須川栄三監督『野獣死すべし』(59)、岡本喜八監督『結婚のすべて』(58)等、各映画会社にわたって、傑作を残す。

ラピュタ新書『不眠の森を駆け抜けて』(著:白坂依志夫)
発行:株式会社ラピュタ
発売:株式会社ふゅーじょんぷろだくと

執筆者

Yasuhiro Togawa