いよいよベールを脱いだ『カレ・ブラン』。
現代の娯楽映画を観る鑑賞方法を寄せ付けない異様な怪作であり、その奥に真の愛の物語を秘めたラブストーリーでもある本作。
ジャン=バティスト・レオネッティ監督とはどんな人物なのか。

異常が日常と化した厳しい近未来世界における、人間の家畜化、個の人間性の保持、そしてそんな世界における夫婦愛のかたちを、他に類を見ない独特なタッチで描くフランス映画『カレ・ブラン』。監督はこれが初長編作、他のスタッフ、キャストなど実力派が揃いながらもここ日本では知名度は無い、完全なノーネーム作品と言っていい作品である。原作やスタッフ、キャストなどに何らかのネームバリューのある映画と異なり、これまでその内容は謎に包まれてきた。しかし4月6日よりシアター・イメージフォーラムで公開が始まったことにより、じわじわと鑑賞者の反応が出始めている。「ジリジリと神経を蝕む」「凄い愛の物語だ」「わけわからない」「徹底統一された無機質な世界観」「寒々しい!」「怖い!」「気が滅入る」「落ち込んだ!」「凄いものを観てしまった」「とんでもない」などの他、監督による緻密に構成された映像とミニマルな音響など演出を称賛する声もツイッターやブログなどで散見され始めた。本国フランスで「精神的暴力の提示」による公開規制が敷かれ、反応も偏愛と嫌悪の真っ二つに割れた『カレ・ブラン』は、現代の娯楽映画を観る鑑賞方法を寄せ付けない異様な怪作であり、その奥に真の愛の物語を秘めたラブストーリーでもある。商業的な価値観で物事の判断が成される度合いを増す今日の映画界において、そんな怪しい映画を作ってしまったジャン=バティスト・レオネッティ監督とはどんな人物なのか。海外メディアへのインタビューから、それを読み解いてみた。

■アートと商業とは?
映画の製作においてアートと商業はともに必要な要素で、それは絶妙なバランスにおいて成り立っている。アートはクリエイティブな目標であり、金はそれを実現するための道具だ。

■何から影響を受けるのか?
すべてだ。子供から老人まで。人が影響を与えてくれる。

■人生やキャリアにおいて最高の瞬間は?
私はエンツォ・フェラーリみたいなものだ。毎回最高のクルマは?と問われて、必ず「次のクルマだ」と答える。

■今後のプロジェクトで話せるものは?
迷信的だ。今後を語るのは迷信的過ぎる。

■脚本執筆や監督業以外で好きなアーティスティックな表現は?
間違いなく音楽だ。音楽が溢れている家庭で育った。父親はジャズ、母親はブリティッシュ・ロックが好きで自分はソウルにやられた。実際まだやられている。すべてはエモーションとセンセーションに関連する。ともにアーティスティックな表現に欠かせないものだ。

■最も尊敬する脚本家・監督から学んだ、最も重要なことは?
ペキンパーだ。『ワイルドバンチ』の撮影時、橋の爆破シーンを撮った直後に大泣きし始めたそうだ。アシスタントが何で泣いているのか聞いた。ペキンパーのようなとんでもないバッドアスな男が泣いていると想像するだけでヤバい状況だ。ペキンパーは言った、こんなに凄い爆破シーンはもう二度と撮れないだろうと思って泣いたと。
その後ペキンパーは『わらの犬』『ゲッタウェイ』『ビリー・ザ・キッド』を監督した。ペキンパー作品はすべて信じがたい、魔法のようで伝説的なシークエンスに満ちている。よって、天才的な反逆のバッドアス監督が泣く時は、一般とは違う意味で泣くということを知った。

■脚本家や監督ではない人から学んだ最も重要なレッスンは?
映画を作らない人にとって、映画製作はまったく重要な意味を持たない。

■もし脚本家・監督ではない何かになれるとしたら?
シンプルな9時5時の仕事に就く。毎年同じ日にちに同じ場所へ休暇に出かける。一か所に留まる。簡単に言うならば、脳の動きを止める。そしていつの日かその脳をぶっ飛ばすだろう、間違いなく。
自己完結できる映画監督になろうと何年ももがいてきた。他の人間になる必要がない。
ほかは考えられない。このまま前進するだけだ。

■子供の頃でも最近でもいい、もっとも衝撃を受けた演技とは?
『華麗なる賭け』のマックイーンだ。8歳だった。マックイーンはフェイ・ダナウェイとともに人気のないビーチでバギーに乗ってた。何百もの鳥がバギーが来ると飛び立つ。エンジンは咆哮をあげる。ミシェル・ルグランの音楽。今までに観た中の最高の映画ではないが、このシーンによって映画製作がしたいと思った。シンプルだが強烈なセンセーションだ。衝撃を受けた理由などはその瞬間は考えない。子供から大人になるにつれて失う感覚だ。

■5年後、15年後はどうしてる?
同じ肉体、同じあたまでいるが、よりカッコよく、よりインテリジェントでもちろん、より若くだ。

以上がそのインタビューであったが、直接映画とは関係ない発言であり、なぜ怪作『カレ・ブラン』を作ったのか、なぜこのような映画が出来上がったのか、その謎を解くことはできなかった。ただ監督の人間性の一部は垣間見ることができ、そこから想像するに『カレ・ブラン』は一切の妥協なく、映画監督になる夢を長年抱き続けたレオネッティの脳が満を持して静かに爆発した産物であるように思える。
『カレ・ブラン』は娯楽に徹した作品と異なり、物語を追うことと視覚で観る映画ではない。人間の持つ五感を研ぎ澄ませて感じる作品である。興味を持った方には是非鑑賞して、自分の感性でこの作品をジャッジしてもらいたいと思う。

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執筆者

Yasuhiro Togawa