本作の公開が予定されていた1974年3月29日を目前に、急遽、公開中止となってしまう。
当時の新聞資料等は、ソ連大使館から外務、文部両省に「反ソ映画の上映は困る」との抗議により、配給会社が自粛に至ったと報道している。その後、東映洋画配給によって北海道・九州での2週間ほどの劇場公開がされるものの、実質的には日の目を見ることはなかった。
6年前の2004年、唯一残された貴重なフィルムが発掘された。新しくデジタル処理を施し、本年ついに劇場公開となる『樺太 1945 年夏 氷雪の門』。

『樺太 1945 年夏 氷雪の門』が当初、モーニングショーで公開予定でしたが、『ザ・コーヴ』の上映中止に伴い、急きょロードショー公開に変更になりました。

空前のスケールで描かれた平和への願い
1974年当時、日本の映画界にしては珍しくスケールが大きく、製作実行予算が5億数千万を超えた超大作として話題を呼んだ。

戦闘シーンを陸上自衛隊が全面協力し、撮影場所も終戦時の樺太に似た地形を求めて、北海道全域をはじめ、御殿場、丹沢、大山、そして常盤炭鉱地にオープンセットを組み立ててロケを行った。原作は金子俊男の「樺太一九四五年夏・樺太終戦記録」。脚本は「幕末残酷物語」の国弘威雄、監督は「あゝ海軍」の村山三男、撮影は「早池峰の賦」の西山東男、美術は木村威夫。特に少ない資料の中から樺太の街を作り上げた木村威夫の美術は圧巻である。
残された1本のフィルムが、36年の時を経て今甦る!

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執筆者

Yasuhiro Togawa