師走といえば忠臣蔵。12月の時代劇専門チャンネルは「忠臣蔵」祭り〜オールスター揃い踏み〜と題して、日本映画の黄金時代を支えた日活・大映・東映・東宝の各映画会社が総力を結集して製作した映画4本とテレビシリーズ1本をお贈りします。
「忠臣蔵」は、一流の映画人のみが製作することを許される大作であるとともに、若い俳優たちにとってもいつの日か大石内蔵助を演じることを夢見て成長していった、そんな作品でもある。
これまでに歌舞伎・講談・演劇・映画・テレビと繰り返し演じられその数は、何千とも何万ともいわれている。「忠臣蔵」は、いつ上演しても必ずよく当たる狂言であるところから、不入りの際の特効薬・独参湯(どくじんとう)の異名を持つ。
「忠臣蔵」が時を越えて受け容れられている秘密は何だろうか。日本人の精神文化に根ざしたところでの共感。繰り返し演じられるなか生まれた様式美。メインストーリーがわかりやすく、ドラマティックであること。外伝的なエピソードが豊富であること。などなど、数え上げたら無数にあるが、それは今回の特集でとりあげる、日活・大映・東映・東宝という映画会社4社が制作した忠臣蔵を見ても明らかだろう。刃傷→切腹→討ち入りという本筋の間で、誰に、何処にスポットを当てて描くかによって4社4様の仕上がりになっている。
周知のキャラクターが展開する、周知の事実。という安心感、勧善懲悪であることの爽快感。現代の不条理で破綻の多いドラマを見慣れている者にとってはむしろ素直な感動を呼ぶことができるのではないだろうか。
江戸城、松の廊下での刃傷事件から300年。日本人が繰り返し見てきた「忠臣蔵」の魅力をこの機会に心行くまでご堪能ください。

忠臣蔵のあらすじ
勅使饗応役に任命された、播州赤穂の若き藩主・浅野内匠頭長矩は、高家筆頭吉良上野介義央への挨拶の折、進物が少なかったこと(諸説あり)などを根にもたれ、お役のうえで様々な嫌がらせを受ける。
1701(元禄14)年3月14日、天皇の勅使や上皇の院使が京都の朝廷から江戸へ下向中、将軍勅答の儀が行われる日、その事件は起こる。江戸城中、松の廊下において浅野内匠頭が吉良上野介に対して刃傷に及ぶ。この時、内匠頭は梶川与惣兵衛により抱き留められたため、吉良上野介は背中と眉間に傷をうけたものの命には別状なかった。殿中での刃傷はご法度。これを破れば切腹・御家断絶である。内匠頭は罪人として庭先で即日切腹、赤穂藩はお取り潰しになった。しかし上野介は”喧嘩両成敗”とはならずお構いなしの裁決が下ったのであった。
事件を知った赤穂藩の論議は三日間続けられた。その結果、弟・大学をたててお家再興の願いを幕府に嘆願し、願いが叶わなければ籠城、切腹ということにまとまった。そこで、大石内蔵助は嘆願書を受城使に提出しようとするも失敗。そこで、受城使を前に一同切腹しようとするが内蔵助が後の含みもあるということで切腹を思いとどまらせ、藩論を開城に導く。この後1年8ヶ月の間には抜けていく同士も多数いた。1702(元禄15)年12月14日深夜、討ち入りを決行。浪士たちの処分の審議には時間がかかった。判決がでたのは翌年になってからのことで、1703(元禄16)年2月4日、浪士たちは切腹を申し付けられ、この日、四十六人の命は絶たれた。

□時代劇専門チャンネル
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