前衛的なデザインと独自の美学、ずば抜けた想像力から生み出される数々のショーで世界を魅了しながらも、その成功の影で悩み苦しんだ、天才にしてファッション界の反逆児アレキサンダー・マックイーンのドラマティックな人生を友人や家族たちとの独占インタビュー、掘り起こされたファッションアーカイブ、そして友人でもあったマイケル・ナイマンによる極上の音楽を通して称賛を込めながら描き出した『マックイーン:モードの反逆児』が、4/5(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開されることが決定!

この度、マックイーン自身の運命を変えることになった伝説のコレクション「獲物を狙う切り裂きジャック(JACK THE RIPPER STAILS HIS VICTIMS)」の模様を切り取った本編映像を解禁致します。

学校へも行かず、仕事も無かった16歳のマックイーンが人手不足だった老舗テーラーサヴィル・ロウで働き始めたことで、服作りへと開眼。
その後さらに服作りを学ぶため単身イタリアに乗り込んでロメオ・ジリで働き、帰国したあと名門「セント・マーチンズ美術大学」入学、その後1992年に卒業コレクションとして発表されたショーの模様を切り取ったもの。マックイーン自身が育った労働者階級の街・イーストエンドで実際に起こった闇の歴史を彷彿とさせる“獲物を狙う切り裂きジャック(JACK THE RIPPER STAILS HIS VICTIMS)”と名付けられたこのコレクションはロンドン・ファッションウィークで開催。そのショーを見た、当時のファッション業界で絶大な力を持った貴族階級出身のファッションエディター/イザベラ・ブロウが「目の前の服が見たこともない動きをして欲しいと思った」
「今まで見た中で一番美しいもの」と大絶賛!本コレクションは彼女が全て買い上げたという伝説的なエピソードも残る、貴重なコレクションシーンを捉えたものとなっております。

ロンドンの労働者階級出身で、日々の食費にも困っていた青年が、23歳で失業保険を資金にファッションデザイナーとしてデビュー。
次々と開いたセンセーショナルなショーは、大絶賛とバッシングで真っ二つに分かれ、彼の名前〈アレキサンダー・マックイーン〉は、たちまち世に広まる。その後1996年、弱冠27歳で〈ジバンシィ〉のデザイナーに抜擢されて世界を驚かせるが、富と名声の絶頂期にいた40歳で突然、自ら命を断ってしまう。
いったい彼はどんな人物で、いかにして現代のおとぎ話のような成功を果たし、なぜ燃え尽きてしまったのか――?

自身のブランドのショーの過激さから〈モードの反逆児〉と名付けられると同時に、デヴィッド・ボウイやレディー・ガガの衣装やビョークのミュージックビデオの監督、プーマやティム・バートンとのコラボなどラブコールは後を絶たず、34歳で大英帝国勲章を授与された輝かしいはずの彼の人生はなぜ終止符を打つことになってしまったのか?

天職と出会った幸福と、命まで捧げた理由に迫る、どんなドラマよりも劇的でエモーショナルなドキュメンタリーが誕生しました。

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<アレキサンダー・マックイーン>
本名は、リー・アレキサンダー・マックイーン(Lee Alexander McQueen)。1969年ロンドン生まれ。
自身の名を冠した「アレキサンダー・マックイーン」はイギリスを代表するファッションブランドとなり、
2011年にはキャサリン妃が結婚式に選んだウエディングドレスとして話題をさらった。
前衛的なデザイン、人間の光と闇を映し出す独自の美学、エッジのきいたセンスとエレガントなラインが絶妙なバランスで融合するコレクションは、
ビョーク、レディー・ガガ、リアーナなどのオンリーワンを求めるアーティストから愛されていたほか、ブリティッシュ・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを
4度にわたって受賞した。 2010年、母親をロンドン・ファッションウィークの数日前に亡くす。
そして母の葬儀の前日に自宅で亡くなっているのを、翌2月11日、家政婦が発見。40年という短い生涯を終える。

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監督・脚本:ピーター・エテッドギー『オネーギンの恋文』(脚本)
監督・製作:イアン・ボノート『エッジ・オブ・スピード』
音楽:マイケル・ナイマン『 ピアノ・レッスン』『ことの終わり』
出演:リー・アレキサンダー・マックイーン、イザベラ・ブロウ、トム・フォードほか
配給:キノフィルムズ コピーライト:© Salon Galahad Ltd 2018  上映時間:111分

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4/5(金) TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー