阪神淡路大震災10年目を契機に始まった兵庫モダンシニアファッションショー。
12月の本番まで8ヶ月間に亘り、ショーに関わる人々の姿を追った。
歳月とは? 忘れるとは? 変わるとは? 日常とは? ハレの日とは? 装うとは?
そして人が人と生きるとは? 正しい答なんて何処にもないのかもしれない。
それでも人々は生きる。淡々と、限られた生を、死者たちに与えられた生を。

監督コメント

映画はいつも風のようにやってくる
2015年春、見寺貞子教授に初めてお会いした。神戸の洒落た喫茶店。

コムデギャルソンで見事にきめた見寺教授は言った。「兵庫区でファッションショーを10年続けています。
出演者は高齢者の皆さんです。映画になりませんか?」2015年・・・戦後70年、阪神淡路大震災後20年。
そのとき脳裏に鮮明に甦るものがあった。1995年 某TV局で作った震災特番ドキュメンタリー。
舞台は兵庫区、出演者は会下山ラジオ体操会の人たち。「あの人たちはどうしているんだろう。
ファッションショーに参加している人もいるに違いない。」震災後3本の長編ドキュメンタリーを作った私は、もう震災関係は作りたくないと、20年封印していた。そんな私が今なら作れるかもしれないと思ったのは、見寺さんの強い覚悟と何よりもその人柄だった。この人となら作れる・・・。
八ヶ月後、『長編記憶映画 神様たちの街』は完成した。映画は、戦災や震災など時代を生き抜いた庶民のユーモア溢れるたくましさを芯に置く記憶映画となった。私は自身が体験していない終戦の日を初めて描いた。
2015年8月15日 神戸。私が感じた時代の空気はどのように映っているのだろう。

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執筆者

Yasuhiro Togawa