このたび、黒沢清監督が初めてオール外国人キャスト、全編フランス語で撮りあげた
最新作『ダゲレオタイプの女』が10月15日(土)からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国公開となります。

本作は、世界中に熱狂的な支持者を持つ黒沢清監督の最新作。世界最古の写真撮影方法“ダゲレオタイプ”を軸に、
芸術と愛情を混同した写真家の父の犠牲になる娘と、“撮影”を目撃しながらも娘に心を奪われていく男の、美しくも儚い愛と悲劇の物語を描き出しました。
役のジャンを演じるのは、数々の名匠の作品への出演が続くタハール・ラヒム。ジャンが想いを寄せるマリー役に『女っ気なし』の新星コンスタンス・ルソー、
マリーの父であり、ダゲレオタイプの写真家をダルデンヌ兄弟作品で知られるオリヴィエ・グルメ。
そして、デプレシャン作品常連の名優マチュー・アマルリックが脇を固めます。

そんな本作へ、ひとあし先に本作を鑑賞した各界の著名人や映画評論家たちから絶賛のコメントが続々と到着致しました!

「生と死」「一瞬と永遠」「愛と憎」
…あらゆる境界を越えた美しくも儚い物語に驚嘆!

これは「はざま」の物語だ。
光と影。愛と憎しみ。純粋と打算。彼岸と此岸。
すべての「はざま」が混ざり合うとき、一つの悲劇が生まれる。
—— 乃南アサ (作家)

「写真に魂を抜かれる」というのは迷信なのだろうか。私たちは思う以上に、
生死と愛憎の境界に生きているのかもしれない。——ブルボンヌ(女装パフォーマー/ライター)

ヨーロッパの風景の中に「能」の世界を見た。死者と生者をここまで平等に描いたことに脱帽しました。
黒沢監督はあらゆる境界を越えてしまう。 —— 前川知大(劇作家/演出家)

世界最古の撮影方法“ダゲレオタイプ”を通して交わされる狂気にも似た愛
究極の愛のかたちに胸が締め付けられる……

一瞬を“永遠”に切り取る最古の撮影方法“ダゲレオタイプ”を通して交わされる、撮影者と被写体。
まさに究極の愛の物語でした。 —— 福島リラ(女優/モデル)

圧倒的だ。芸術に取り憑かれた男は、そのために犠牲にした女にやがて取り憑かれる。
それは女の復讐なのか、それとも愛なのか。—— 井上荒野(作家)

「愛する者」を永遠化する欲望の狂おしさと罪深さ。
無傷のままでは抜けられない、美しく幽遠な怪奇幻想譚だ。 ——後藤岳史(映画ライター)

ダゲレオタイプで写真を撮ることは脆く危うくも、魅きつけられる。
この世でもっとも美しい愛のかたち。
幻影か現実か、今やどちらでも良い。ここには永遠の愛があるのだから。 —— KIKI(モデル)

ダゲレオタイプに封じ込められた美女。
「永遠」を夢見る写真家の狂気が、じわじわと滲み出てくるように感じる。
—— 飯沢耕太郎(写真評論家)

「写真」とは、時間を止め、生きているものを凍結保存する方法だ。その「写真」を「映画」で甦らせる。
怖くないわけがない。しかしその恐怖はじつに美しい。——森村泰昌(美術家)

ひとの生の時間を奪い去る<写真>は、なんと罪深いことだろうか。
美しい身体を借りた人形浄瑠璃。白昼の夢は、いつ果てるともなくつづく。
——新井卓(写真家/ダゲレオタイピスト)

永遠に自分のところに留めておきたい、というエゴから逃れられない写真家のオブセッション。
そのなかでしか見えない美しさがある。
——川内倫子(写真家)

寺山修司は、「銀板写真(ダゲレオタイプ)には、死の匂いがある」と言った。
“記憶を持った鏡”ともいえる銀板写真に永遠の命を感じ、その言葉を不思議に思ったものだ。 だが、黒沢清は、その両方を私に観せてくれた。
——安藤紘平(映像作家/早稲田大学名誉教授)

フランスを舞台にしながら、古典怪談の匂いを感じる
黒沢清監督の手腕に脱帽!

牡丹燈籠のお露と新三郎を見ている様でした。
マリーが、どんどん美しくなってゆく怖さ、教会での謎解きが古典的で逆に新鮮でした。
——林家正雀(噺家)

静謐にして超常的。
油絵の国に墨の繊細をにじませた藤田、怪談をエイリアンの眼差しで昇華させた八雲、
東と西が往きかう処、また新しい愛の姿が立ち現われた。——エドツワキ(アーティスト)

美しさのなかにある怖さ…
国境を越えて、一層力強く描かれる黒沢清監督の世界——。

すべての情景が美しく、そのことがおぞましさを増幅させていく。人が死を愛していることはたくさんの映画が証明してきたが、
この映画は人が死しか愛せないことを証明してしまった。——藤野可織(小説家)

この小津と溝口の宿命的な融合を、二一世紀のフランスを舞台に
あっけらかんと描いて見せる小癪なる黒沢清。必見!!! 
——蓮實重彦(映画評論家)

この映画は黒沢清監督にとって特別な意味を持つ作品だ。フランス映画だからではない。
結果としてこの映画が、この稀代の映画作家の、もっとも純度の高い傑作となったからである。
黒沢映画とは、つまりこれである。——佐々木敦(批評家)

いつもと違う国で、違う言葉で、芯は同じだが、味わいはまた違う。フランスであってフランスでなく、もちろん日本でもない、黒沢清の世界。
ヒロインを写す銀板のように冷たいのに情熱的で、このうえなくロマンティックで美しい。
——冨永由紀(映画ライター)

黒沢清の映画は、どこかフランス映画的だと感じていた。
欧州の情景と俳優が揃った本作により妄信は確信へと変わったが、同時に幽玄・幻影の世界は不変だった。
つまり世界のどこにいても、黒沢清は黒沢清なのである。——松崎健夫(映画評論家)

自責や悲しみのあまり愛する人の残像にすがる人々の物語。
亡くした人と会話し、その姿を見るのは、ごく日常の出来事だと思う。——萩原麻理(映画ライター)

私がこの映画に興味をひかれるのは、
全てが「移動できないことによる」悲劇を暗示しているからだ。
こんな屋敷と温室にであれば、囚われてもいいのではないかと思わないでもないけれど。——楠本まき(漫画家)

冒頭、彼の後ろ姿が屋敷に入った瞬間から、オレはひんやりと薄暗いトンネルを歩くような
不安と緊張を抱き続けた…あの出口まで。—マギー(俳優/脚本家/演出家)

(順不同・敬称略)

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執筆者

Yasuhiro Togawa