1980年代に『神経衰弱ぎりぎりの女たち』『アタメ』といったセンセーショナルな快作や異色作を連打したのち、キャリアを重ねるごとに円熟味を増し、世界的な巨匠の地位を揺るぎないものにしたペドロ・アルモドバル。思いがけない運命や偶然に翻弄される登場人物を主人公にして、人生の豊かさや複雑さ、人間の愛おしさや切なさを描かせたら当代随一のストーリーテラーであるこの名監督の最新作『ジュリエッタ』は、深い哀しみに引き裂かれたひと組の母娘の物語だ。アルモドバルが“女性賛歌3部作”と呼ばれる自身の代表作『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』『ボルベール〈帰郷〉』にも通じるエモーショナルなテーマを追求するとともに、魔術的なまでに深みを湛えた語り口で観る者を“虜”にするヒューマン・ドラマである。

スペインのマドリードでひとりで暮らしているジュリエッタは、美しく洗練された容姿の中年女性だが、自分を心から愛してくれている恋人ロレンソにも打ち明けられない苦悩を内に秘めていた。そんなある日、ジュリエッタは偶然再会した知人から「あなたの娘を見かけたわ」と告げられ、目眩を覚えるほどの衝撃を受ける。ひとり娘のアンティアは、12年前に理由さえ語らぬままジュリエッタの前から突然消えてしまったのだ。最愛の娘をもう一度、この手で抱きしめたい。母親としての激情に駆られたジュリエッタは、心の奥底に封印していた過去と向き合い、今どこにいるのかもわからない娘に宛てた日記を書き始めるのだった……。

2016年のマドリードを出発点とする波乱に満ちたストーリーは、孤独な主人公ジュリエッタの回想によって過去へとさかのぼっていく。25歳の時に夜行列車でショアンというハンサムな漁師とめぐり合ったジュリエッタは、情熱的な恋愛の末に彼と結ばれ、愛娘のアンティアを出産した。しかし、ふとした感情のすれ違いによって取り返しのつかない悲劇に見舞われ、アンティアの成長を見守ることが唯一の生きがいとなったジュリエッタは、さらなる悪夢に打ちのめされるはめになる。これは人生におけるかけがえのないものをすべて失い、身も心も憔悴しきったヒロインが、その絶望の闇の中でかすかな希望をたぐり寄せようとする再起と贖罪の物語。母親から娘への切なる情愛を掘り下げたアルモドバル監督は、母親の苦労を知らずに育った娘の揺れる想いもすくい取り、あらゆる観客の胸に響くであろう崇高なドラマを完成させた。

ジュリエッタが着用する“赤”のドレスのクローズアップで幕を開ける本作は、アルモドバルならではの鮮烈で艶めかしい色彩感覚が遺憾なく発揮されている。さらに古典的なサスペンスやフィルムノワールの興趣にも彩られた映像世界は、このうえなく魅惑的な陰影とスリルに富み、極上のミステリー小説に引き込まれるかのようなめくるめく陶酔感を堪能させてくれる。原作は、カナダのノーベル賞作家アリス・マンローが2004年に発表した短編集「Runaway」。同一主人公でありながらそれぞれが独立したストーリーである3編を、アルモドバル自身がひと続きの物語として脚本化した。
またカルメン・マウラ、ヴィクトリア・アブリル、ペネロペ・クルスといったそうそうたるトップ女優たちの才能を花開かせてきたアルモドバルは、主人公ジュリエッタ役にふたりの女優を抜擢した。スペインのベテラン女優エマ・スアレスがジュリエッタの“現在”に扮し、NHKで放送されたTVシリーズ「情熱のシーラ」で脚光を浴びた新進女優アドリアーナ・ウガルテが“過去”を演じている。華々しいキャリアにおける新たな代表作をものにしたアルモドバルが「私の女神たちと肩を並べる存在となった」と絶賛する彼女たちの名演技は見逃せない。

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執筆者

Yasuhiro Togawa