1990年10月31日、落語家・林家かん平は師匠林家三平の追善興行を終えた打ち上げの会場で倒れた。病名は脳溢血。まだ41歳の働き盛りだった。落語家なのに座布団に座れない、さらに落語家の命とも言える言語にも支障が残る。しかし、その過酷な運命の中で、右半身付随、言語障がいのリハビリを続けながら、落語家として高座に復帰、林家三平一門会や、周囲の仲間たちが開催してくれる落語会を中心に高座に上がり続けていた。

それから25年。歳月は無情に流れ、かん平から体力と気力を奪っていく。彼が生き甲斐のひとつとしている初代林家三平追善興行の時も、持ち時間の10分であごがくたびれる始末。大好きな古典落語、特に時間をかけてじっくりと聞かせる人情噺ができなくなることに不安を感じる。

そんな折、いつも心の支えにしている言葉「頑張っていれば、きっと神様がご褒美をくれる」が思い浮かび、かん平を奮い立たせる。自分にしかできない落語を作ってみようと、かん平は新作に取り組む決意をする。

高座に上がっていない時は、自身のリハビリと寝たきりになった母親の世話をヘルパーさんたちの手を借りながら行うかん平だが、決してつらいばかりの毎日ではない。落語界に入ってから世話になっている兄弟子や芸人仲間、前座時代から支えてくれる支援者たちがかん平を勇気付け、彼らもまたかん平と笑いながら過ごすひと時を楽しみにしている。
高座復帰後、高校の同級生たちがかん平を励ますために始めた神奈川県大和市の林間楽語会。ここでかん平は新作を発表することに決めた。仲間たちを集めて試演会を行う。仲間たちの厳しい意見にへこみそうになりながらも、かん平はむしろやる気をかき立てられ、少しでも新作への刺激になればと以前にも増して活発に表へと出かけるようになる。
そして、林間楽語会の日がやってきた─—。

この作品は、車椅子の落語家、林家かん平が体験する、苛酷なリハビリ生活と、同居する母への老々介護、そして仲間たちとの暖かいふれあいの日々の中で、自らの体験を創作落語として笑いとともに蘇らせ、ついに高座で語るまでを、昨年の春から一年に渡って撮影した魂のドキュメンタリーである。

<林家かん平略歴>
本名 渋谷一男(しぶや かずお)

1949年9月9日 長崎県高島町に生まれる。 
1955年4月   神奈川県厚木市に転居する。
1967年3月   高校卒業後、楽器会社、書店員などをしながら寄席通いを
する。
1972年5月   七代目橘家圓蔵に入門。前座名は橘家六蔵。
1977年     二ツ目昇進
1980年5月   橘家圓蔵死去。林家三平の弟子になるが、三平も
同年9月死去。林家こん平の弟子となる。
1985年6月   真打昇進試験に合格。
1985年9月   真打披露され、初代林家かん平を襲名。
1990年10月31日脳溢血で倒れる。
1991年9月   「林家三平追善興行」にて高座に復帰。
1993年     3年の「闘病入院生活」を終え、母と暮らすようになる。
1994年5月   学生時代の仲間が「林家かん平を励ます会」を開催。
以後「林間楽語会」と名を変え今日まで続く。
2015年12月  第42回「林間楽語会」開催。

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執筆者

Yasuhiro Togawa