1970年、ベトナム反戦運動の激化を背景に、大統領は治安維持法を発令、米政府は反政府分子を根こそぎ拘束。一方的な裁判にかけられた彼らは、求刑通り懲役を全うするか、カリフォルニア州「ベアーマウンテン国立懲罰公園」で人間狩りの標的として3日間を生き延びるか、二者択一を迫られる—。
暴走する権力の恐怖を描いた偽ドキュメンタリーの問題作『懲罰大陸★USA』(1971)を監督した英国人ピーター・ワトキンスは、1960年代にイギリスBBCで編集アシスタント兼ドキュメンタリー監督としてキャリアをスタート。1965年に発表した監督作『The War Game』(日本未公開)は、イギリスにソ連の核ミサイルが落とされたという設定をドキュメンタリー・タッチで描いた【劇映画】だったにもかかわらずアカデミー賞・長篇ドキュメンタリー賞を受賞してしまった。
このワトキンス監督が、不世出のアーティスト、故ジョン・レノンの思想や行動に大きな影響を与えていたことはほとんど知られていない。1996年に欧米で出版され、翌1997年に日本でも翻訳が出版された「ロスト・レノン・インタビュー〈1〉ジョン・レノン ラブ・アンド・ピース」(ジェフリー&ブレンダ・ジュリアーノ著、広田寛治監修、島田陽子訳、プロデュースセンター出版局刊)というインタビュー本によると、1969年12月、トロントでマスコミ取材に応じたレノンは、平和運動を始めたきっかけを以下のように話している。

“直接のきっかけと言うと、ピーター・ワトキンスという人から手紙をもらったことかな。『The War Game』という映画を作った監督だよ。すごく長い手紙で、今どういうことが起きているかが書かれていた。メディアがいかに統制を受けているか、どんな風に動かされているか、みんなに知らされる情報すべてが、いかに操作されているか。彼はそれをはっきりと、何時間もかけて膨大な枚数に書いてきた。そして最後に「あなたならこういう状況をどうしますか」って。彼が言うには「あなたのような立場、我々のような立場にいる人間には特に」、つまり彼が映画監督だからね…、「メディアを世界平和のために利用する責任があるはずだ」。僕らはこの手紙を前にして3週間ずっと考えてた。そのあとで僕らは「ベッドイン」を思いついた”(前記翻訳本から抜粋)

特に面識があったわけでもなくジョン・レノンに手紙を送った、まさに「思う」だけでなく「実行する」人間、ワトキンス監督は、自身でも60年代、英国政府が操る人気アイドルとメディアによる国民洗脳の恐怖を描いた『傷だらけのアイドル』(1967)を発表。そしてジョン・レノンへの手紙のあと、1970年5月に起こったケント州立大学での学生射殺事件(ベトナム戦争に抗議していた学生4人が州兵によって殺された事件)をきっかけに発表したのがこの度日本初公開となる1971年の『懲罰大陸★USA』だ。ワトキンス作品は一貫してドキュメント・スタイルで描かれているが、実はフィクション、今風の言葉でいえばモキュメンタリーだ。TVで培ったドキュメンタリーの手法を駆使して体制の腐敗と偽善の暴露を実践し、現実の不条理と絶望を恐れず告発し続けてきた。ジョン・レノンと同時代を生き、反体制と反権力を貫いてきた孤高の映画作家、今年80才となるピーター・ワトキンスによる野心作にして最もストレートかつパーソナルな作品『懲罰大陸★USA』は、21世紀の現在、安保関連法案に揺れる日本でどのように受け取られるのだろうか?

日本初公開となる『懲罰大陸★USA』は、
8/29(土)より新宿シネマカリテにてレイトショー、以降全国順次公開される。

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執筆者

Yasuhiro Togawa