ポール・マッカートニーは2001年9月11日の朝、ニューヨークのケネディ空港で、イギリスに帰るため離陸を待つジェット機内にいた。「機内の右側の窓から世界貿易センタービルが見えた。ツインタワーの1本から煙が上がっていて、やがてもう1本にも同じことが起きた。最初は目の錯覚かと思った」。フライトはキャンセルになりニューヨーク市内に戻った彼は、自分にできることを模索しはじめる。およそ1ヵ月後、それはマディソン・スクエア・ガーデンでの“コンサート・フォー・ニューヨーク”という慈善ライブとして結実した。その開催にいたる歩みと本番の舞台裏に密着したドキュメンタリー映画『ポール・マッカートニー The Love We Make』が12月9日(金)から公開される。

 「9.11後、特にニューヨークの街は、今まで体験したことのない恐怖に包まれていた。それを音楽で癒せないものだろうかと考えて、ライブをやる決心をした」とポール・マッカートニーは語っている。「自分は幸運にも、人の感情に触れることができる“音楽”とういものを職業にしている。“魔法なんてあるわけない”と人はよく言うけれど、僕は音楽の魔法を心から信じているし、信じなければならない」。

 監督は、『セールスマン』(1968)や、『ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター 』(1970)などの代表作がある、伝説的な米国人ドキュメンタリー作家のアルバート・メイスルズ。1964年にビートルズが初めて米国を訪れた際、『What’s Happening! The Beatles In America』というドキュメンタリーを監督したことがきっかけで、ポール・マッカートニーとは長年の知己だった。1964年の撮影時、ビートルズのメンバーが「僕らはどうすればいい?」と訊くと、メイスルズ監督は「われわれのことを無視してくれればいい」と答えたという。「それは今まで受けた中で最高のディレクションだったんだ」とマッカートニーは当時を振り返る。“コンサート・フォー・ニューヨーク”の映像化を考えたときに、マッカートニーの頭には最初にメイスルズ監督が思い浮かんだ。そこで「アルバート、また撮ってくれない? 前と同じように君を無視するから」とメイスルズ監督に連絡したという。
 
 だが、マッカートニーとメイスルズ監督にとって、テロ直後の映像を整理して映画として公開するには、時間の経過が必要だった。9.11という出来事があまりに甚大で、数年程度の歳月ではグラウンドゼロの惨劇の渦中から抜け出せず、大局を見ることができなかったからだ。「もうすぐ10周年を迎えるという事実に呼び覚まされたんだ。それでアルバートに連絡して、あの時の映像まだあるんだろう?だったら今やろうよ!とけしかけた」とマッカートニーは述べている。
 かくして撮影から10年後に完成した本作は、メイスルズ作品特有の16mmモノクロと控えめな静観スタイルに仕上がった。「アルバートは、こっちが撮られてるって気づかないうちに撮ってしまうんだ」と、メイスルズのカメラの前ではガードを外す自分に満足な様子でマッカートニーは話す。今年のトロント映画祭でも上映され、世界的な話題となっている本作は、マッカートニーがニューヨーク市内を奔走する姿や、市民や消防士たちとの会話なども描かれ、テロ直後のニューヨークの街の状況が浮き彫りにされる。また、デヴィッド・ボウイ、エリック・クラプトン、ミック・ジャガーなどのミュージシャンや、レオナルド・ディカプリオ、ハリソン・フォードといったハリウッド俳優らが、本番当日の舞台裏に姿を見せる場面も大きな見どころである。

映画『ポール・マッカートニー The Love We Make』は12月9日(金)より、TOHOシネマズ六本木ヒルズほかにて限定ロードショー。

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執筆者

Yasuhiro Togawa